郷に入っては郷に従え、それでも自分は結局変わらない

NYに初めて来た時、私には何の肩書きもなかった。対日本人ではよく上手ですねと言われる英語も、対ネイティブでは全然であることも分かっていた。だから相手を怒らせないように、極力怒らずにを心掛けざるを得なかった。何よりトラブルに巻き込まれたく無いし、マイノリティであることを自覚して命を守るのが最重要だから。

日本では高いサービス水準に慣れているのと多少文句を言ってもトラブルに巻き込まれる可能性はそれほど高くないとの思い込み(対企業のみ、対個人は別の話)から、コンビニで少しイマイチな対応をされるだけで、金をもらっているくせに何て対応だと憤ったし、あからさまに態度に出した。こっちではお店で商品を見せてもらっているという姿勢でいなければならないし、時給900円のコンビニ店員に高いサービスを期待するのが間違っているという考えだから、常々下手に出ている。そんな生活において、NYにいると私の嫌なところが出ないなと思った。あからさまに嫌な態度をとった後、自己嫌悪に陥るから、そんな態度を取れないNY生活が案外向いているのかもしれないと思った。

けれども時は流れてNY生活を数年続けると、結局自分が出てくる。もちろん命を守るという最重要事項は変わらない。だけど対同僚だったりすると、カッとすると言いたいことを言うようになっている。そして日本に帰れば以前のような態度を取るのだと思う。ほんの少しだけ寛容になっているといいんだけど。