グアム

東京から3時間半で着く楽園グアムに初めて行った。近いが故に割高に感じられ、この値段出すなら他の国と思ってしまったが、マイルが切れることもあって行ってみた。

日本の冬は乾季でベストシーズンのはずだが、晴天のタイミングは少なく、曇りだったり時々霧雨が降ったり、風が強かったり。それでも半袖で歩けるぐらい暖かいが暑いという感じでは無い。28度前後のとても過ごしやすい気候なんだと知った。オープンテラスで食事をしているとハエが寄ってくるのは残念だが、しょうがない。

海は美しい。エメラルドグリーンの海と白い砂浜。宮古島で見たそれと似ている気がする。サンゴ礁の近くには色とりどりの魚が見れる。風が強くそれほど沖合まで行けなかったのは残念だが、自然を堪能し十分にリフレッシュできる。難点を挙げるとすれば、砂浜と海の境目は岩なのか貝殻なのか地面が硬く、足が痛い。

島自体が免税みたいな国で買い物は楽しめる。複数あるショッピングセンターの外観は古く、不安になるが、相応に品物はある。但しいずれも一点しか置いてなく、ディスプレイされていない新しいものを出してもらうことはあまり期待できない。それでも財布の紐が緩んでしまうのは、店員さんが本当に良い人等なのだ。欧米有名ブランドの香水の小さいサイズが欲しいと言えばサンプルをくれたり(他国でサンプルをもらえた覚えはない)、ディスプレイされているものしかないと言われ悩んでいると、本当に綺麗に整えてくれたり。

食事は、ホテルバイキングで食べた海鮮(特にオイスターやロブスター)は美味。バイキング自体は欧米・メキシカン・日本・韓国・中華(飲茶)まであり美味しい。街中での食事は全体的に肉や魚とじゃがいもといった印象で、野菜の種類は多くない。先住民チャモロ人の味付け(チャモロバーガー、チャモロロコモコ等)がメニューにあり、ピリ辛の感じは嫌いではない。ただ個人的には食事がすごく美味しかったという印象はない。チップは10(~15)%といった感じで、税金がかからないこともあって、ニューヨークよりは安く感じる。

総論として、グアムは想像よりも寂れていた。それが残念だ。あんなにも美しい海があるのに。グアムにいる間に、グアム旅行者への批判記事を読んだ。山口誠氏の「米領グアムの観光産業と記憶のリスク化」である(興味があればネット検索してほしい)。日本人観光客が、チャモロ人に次ぐ人口を誇るフィリピン系移民がいることにも気づかず、グアム島民は米国国政選挙への投票権がない一方で、基地負担を強いられていることにも気づかず、ビーチとショッピングだけを楽しみ帰国していくことへの警鐘のようだ。言っていることはよく分かる。ただ、現地に行った感想としては、ビーチやショッピングセンターが並ぶ通りから出ることが非常に難しいのだ。昔はシャトルバス・トロリーによってある程度遠くまで行けたようだが、近場を除きほとんどが休止中。タクシーは異常に高い。島一周ツアーみたいものは販売されていない。レンタカーを借りて自分で周ることは可能だとは思うが、海外で運転しないと決めている私にはその選択肢は無い。またビーチ沿いの通りには、かつての日本人男性をターゲットとしたであろう実弾射撃やアダルトショップの看板が日本語で記載されている(ちなみに体感的に現在の観光客の半数は韓国人であった)。グアムは美しい海と文化と歴史があるのに、十分にマーケティングできていない。文化や歴史を学ぶ機会が与えられないのはとても残念だ。

以下、グアム概要

歴史:チャモロ人の国、1500年〜スペイン統治、1898年〜アメリカ統治、1941年〜日本占領、1950年〜アメリアの自治属領(準州

産業:観光、軍需中心

面積:グアムは淡路島(兵庫県)と同じぐらいの大きさ(約600㎢)

淡路島は日本で最初に生まれた島「国生みの島」らしく、淡路玉ねぎや淡路牛で有名。日本の島の大きさは①沖縄島(約1,200㎢)、②佐渡島(約850㎢)、③奄美大島(約700㎢)、④対馬島(約700㎢)、⑤淡路島(約600㎢)の順番。ちなみに日本列島は約380,000㎢、東京都は約2,200㎢。

 

 

 

 

高松・直島

寒い時期に高松・直島に行ってきた。

高松:高松城玉藻公園栗林公園

直島:だいたい一周

食事:うどん、オリーブ牛、オリーブ豚、オリーブ鶏

うどんを注文し、天ぷらを取ってお会計する。そんなシステムすら新鮮だし、お出汁のきいたコシのあるうどんには大満足だ。オリーブ牛の焼肉は本当に美味だった。

高松に限ったことでは無いが、都市にお城があるのはなかなか新鮮だ。高松城は海城で水門がある。瀬戸内海と繋がっていて海水の干満さをやわらげている。公園は美しいが、冬の公園は寂しい。

アートの島として有名な直島に初めて行った。杉本博司時の回廊、ベネッセハウス美術館、李禹煥美術館、地中美術館草間彌生のかぼちゃ、有名なところは一通り廻った。全体的に禅をテーマにしているように感じられ、その前提であれば良いが、作品数が少なく物足りなさも感じる。欧米の壮大な美術館と比べるわけでは無いが、コンセプトが違うとしてももう少し作品数があっても良いのではないか。

安藤忠雄の建築は好きだ。ただあれほど安藤忠雄の作品の中にいると、寒さも相まって物悲しさが強調される。打ちっぱなしのコンクリートは冷たさと暗くなってくると要塞か牢獄のようだ。洗練されているからこそ冷たい。携帯の電波が入らなくなっているのか携帯の鳴る音も聞こえず、子供には向かない島だから子供の声もせず、ただ静かで瞑想するにはもってこいだ。地中美術館のジェームズダレルの部屋の窓から見えた雲は昔私が作った版画のライオンのようだなんて思いながら静かに作品にいどむ。オランジュリーを期待したモネの部屋は夕方だったせいかとても暗い。あまりに濃い青は黒にのまれてしまう。明るい朝だったら違っただろうか。

ただ普段見ることのないアート作品と海と山の中で過ごした時間が私をリフレッシュさせたのは間違いない。

1985年ぐらいからアートの街としての構想があったことを知る。40年という時間は長くも感じられるが、こうして観光地として成功しているのを見ると、40年でこれほどまでに変われるのだとも思う。

人生の優先順位

スタンフォードMBAの学生(女性)が費やす時間の優先順位の上位にボーイフレンドとの時間を挙げていた。結婚している人が家族の優先順位が高いと言うのと何も変わらないが、結婚していない若者がそう言うのにかなり驚いたのを覚えている。今でこそ家族を優先するという若者もいるだろうか、これを聞いた5〜6年前にはかなり驚いた覚えがある。

この優先順位は正しいと思う。仕事に一生懸命取り組めば、運もあるがそこそこ出世できる。できることや課題のレベルが上がっていくことを若いうちは楽しめる。そこから先は熾烈だ。上り詰められる人は一握りで、大抵の人は人生を楽しむことに舵を切る。その時パートナーがいないとこれで良いのかという寂しさが常につきまとるが、若い時と比べてパートナーを見つけるのは年々難しくなる。

優秀な女性の友人が夫の転勤についていくために仕事を辞める。そう聞く度にもったいない、仕事を辞めるなんて心配にならないのかと思った。だけどパートナーを見つける方が就職先を見つけるより難しいかもしれないと思ったらその判断も間違っていない気がした(でももし私がその立場になったら絶対についていかないだろうが)。

不寛容

子供の声や泣き声がうるさいと言うことすら認められていない気がする。子供は泣くのが当たり前と言っても、特にビジネスクラスの飛行機でずっと泣かれているのは厳しい。修学旅行生の大群とも乗り合わせたくはない。それが本音ではないだろうか。

続々と降車する飛行機の中で、まだ準備に時間をかかっている人を待って延々と立ち止まっている人。先に行けただろう多くの人が動けないで待たざるを得ない。人に譲るというのは美学だが、同時に迅速な交通を妨げる行為でありバランスが必要だ。ただ譲ればいいということではない。これもまた言うことを許されていない気がする。

言ってはいけないが多すぎるのではないか。子育て中に母親は肩身の狭い思いをしているということだが、そういう人に私はあまり出会ったことがない。赤ちゃんなんだから、子供なんだから当たり前ですよね?という態度の人の方がよっぽど多い気がする。そういう図々しさが無いと子供を生むことに踏み切れないのだろうか。自分の遺伝子を残したいと思えるほどの図々しさがなければ、子供なんて産めないのだから当然だろうか。

健康で優秀な女性がこんな図々しさを持ち合わせていることを心から祈る。

福利厚生としての子育て支援

国により子育て支援、つまり子育て世代優遇は少子高齢化の昨今やむを得ないと思う。多額の税金が産んでくれてありがとうのメッセージだと思う。

一方で、企業による子育て支援策には違和感を感じる。以前働いていた企業では住宅補助が出た。住宅補助の金額は家族構成によって決まるため、単身者と家族持ち(専業主婦+子供2人)では月10万円近くの違いがあった。仮にその単身者と家族持ちのパフォーマンスが全く同じであっても家族持ちは月10万円多く給与をもらえるのだ。もちろんその分コストがかかるため、生活自体がより優雅になるわけではないだろう。ただ会社がパフォーマンスに関わらず、家族持ちに月10万円多く支払っている事実に納得感が無いのだ。家族持ちの見えないキャッシュフロー、例えば専業主婦による家事サービス、2人の子供による親への将来的な仕送りは考慮されていないだろう。こうしたキャッシュフローも勘案せず、会社が月10万円多く支給するのは、会社として伝統的な家族構成を維持したいという意思表示なのだろう。こうした企業による意思表示は非常にナンセンスで、時代に逆行すると私は思う。

少子化対策

人口が減ってくると、高齢人口を支える人がいなくなる。だから人口を維持しなければならない。すべての人が結婚して、結婚したカップルが子供を2人以上生むか、移民を受け入れる。移民の受け入れは文化的な違いから軋轢を生むことがある。よってできれば日本で育ち、日本語を話す家庭に子供を産んで欲しい。というのが現状だろう。ここでは未婚のまま出産することの法整備が十分に整っていない現状の制度を前提にし、まず結婚する必要があると考える。①結婚する比率を上げ、かつ②結婚後に出産を選択する比率を上昇させる必要がある。

一方で、多様な価値観の受容が叫ばれて久しい。結婚はしてもしなくてもいい。子供も産んでも産まなくてもいい。男性も女性も結婚のメリットを感じないと発言するようになった。その中で結婚のメリットを感じるにはどうしたらいいのか。メリットには相手のことがすごく好きと言った心理的なものもあるが、生活を安定させたいとか子供が欲しいとかより現実的なものも高い比重を占めるだろう。ここまで考えてメリットを感じない人に無理やりメリットを感じさせることができるのか、さらに必要なのだろうかと思う。長い歴史の中でおそらく初めて結婚しなくてもいい、子供を産まなくてもいいと発言することが許されている。それでもDNAに染み込んだ結婚しなくては、子供を産まなくてはという強迫観念は強い。それを超えて、メリットを感じさせる必要があるとは思えないし、ましてや国が出張ってくるなど論外だ。

子供が欲しいが、あまりにお金と時間がかかるから躊躇している人がいる(時間はお金である程度解決できる)。子供ができずに苦労している人がいる。こうした人への支援は必要だと思う。ただ現金のばらまきや市町村による婚活イベントの開催ではなく、託児所の整備や産休中の金銭的支援であるべきだ。

今回のテーマからは外れるが、やはり結婚→出産ではなく、直接出産を支援する等の仕組みも必要だと思う。夫婦別姓すら実現しない今の自民党政権下で、実現することはまず無いだろうが。

個人的にはテクノロジーを駆使して高齢人口を支える仕組みを考えたい。私は人間に世話をしてもらいたくないのだ。

精子バンクから経済的な弱者を考える

アメリカには精子バンクというものがあり、ドラマ等にも度々登場する。女性には男性と違って子供をもつタイミングにハードリミットがある。男性にもあるが、成功していたり、容姿が優れていたりすると、リミットを伸ばせる可能性があるが、女性の場合は切実だ。

2023年日本初の精子バンクが活動を休止した。生まれてくる子供の出自を知る権利や精子バンクの位置づけ等の法整備が進まないこと等が背景にあるらしい。

精子バンクというのはどうしても子供の欲しい女性にとっての救世主だ。今ボーイフレンドのいない妙齢の女性にとって、マッチングアプリや友達の紹介等を経て、異性と出会い、デートを重ね、恋人同士になり、結婚して、子供を作るというプロセスは気が遠くなるプロセスだ。そのプロセスをかなり短縮できるのが精子バンクだ。

精子バンクが機能しない場合、非公式に売買されることになる。精子の提供者のバックグラウンドチェックも自分で行うしかない。病院での対応と比べ、衛生的にも問題がありそうだ。

デメリットとしては、生まれてくる子供が異母兄弟と知らず知らずのうちに出会い、恋に落ちる可能性がある点は挙げられる。本当の父親に出会い、恋に落ちる事例もあるようだ。但し、今でも養子は同じリスクがある。出自を知る権利を整備し、血縁関係を確認ができれば、リスクは緩和できる。また1人の父親が提供できる精子の数を限定することも考えられる。デメリットがあるからメリットを無視するのはナンセンスだ。特に少子化が問題となっている中で、市町村がお見合いイベントまで開催して「普通の」結婚をさせて、子供を産ませる。それよりもよっぽど効率が良いのではないか(そもそも国や市町村がこうした介入をすることには閉口するが)。

また経済的な弱者を搾取するという指摘もあり得るだろう。誰が精子を提供するかといったら、経済的なニーズがある者ではないか。確かに嫌がる男性に無理やり提供させることはあってはならない。また何らかの方法で入手した精子を第三者が勝手に提供することもあってはならない。密室で採取される精子が本当にその人のものなのかの確認は必要になる。しかし思考力のある大人の男性が経済的な理由で精子を提供することは問題なのだろうか。メリットがデメリットを上回ると判断した結果ではないのか。お金を得るには何かを犠牲にする。大抵の人は時間だが、それがこの場合精子になる。

思考力のある大人の女性がセックスワーカーとして働く場合も同じだ。セックスワーカーの場合発達障害のある人が搾取されていたり、他の仕事に従事できず、他に選択肢がない中、精子提供よりは身体的な負担が大きいサービスを提供することになる等、問題はより複雑だが、お金を得る手段として自発的に選択しているのであれば、それは本人の選択とも言える。

ベーシックインカムが実現された世界では、精子提供者もセックスワーカーもいなくなるかもしれない。それはそれで素晴らしい。だけどそれまでは現にそれに従事する人を守るための法整備をするべきではないか。