地続きの欧州
欧州というのは極めて広いエリアだが、やはり地続きでどことなく似ており、グラデーションのようにゆっくり景色が変わっていく。あれだけ経度も緯度も違うのにほぼ同じタイムゾーンで生きている。ロイヤルファミリーを辿ればどこかでつながっていたり、多くの争いもあったが、親近感もあるのだろう。海を挟むがアメリカもラテンアメリカも同様だろう。ロシアとウクライナ、中国と台湾というように近しいグループでの争いが続く中では一概には言えないものの、人間は似ているものに親近感が湧くのが通常だから、欧米人同士というのは言語が異なっても親近感が湧くのだろう。アジア人の私としてはそれがどこまでいっても少しだけうらやましい。
日本のプレゼンスという目線だと、北欧ではセブンイレブンが席巻していたし、概ねどの都市も好立地の場所に日本食レストランがあったが、あまり人が入っている印象は無かった。アメリカでは日本から来たというと漫画やアニメの話をされることが多かったが、欧州では少なくとも短期滞在中はあまりなかった。
ジャパンアズナンバーワンの時代は日本人のメンタリティも違ったのだろうか。圧倒的な円安でもはや海外旅行に行き、満足度の高い旅をすることすら難しくなった世界で、欧米人であるあなたは日本人である私と話をしたいに決まっていると根拠の無い自信を持てる世界をどうにか実現したいものだ。
スペインの美術館(バルセロナ・マドリード・ビルバオ)
フランスやイタリアには美術資産が多くあるが、スペインも負けていない。
バルセロナのピカソ美術館はマドリードのプラド美術館と並び最も気に入った美術館だ。ピカソ美術館の展示は作風がガラッと異なるピカソを時系列で整理しており、非常に理解が進んだ。初期の作品、青の時代、バラ色の時代、キュービズム、マティスを彷彿させるような鳩の連作、ラスメニーナスのシリーズ。大きな美術館には必ずと言っていいほどピカソの作品があるが、単体で見るとそれほど感動を覚えないものも多いが、まとまっていると迫力がある。マドリードの国立ソフィア王妃芸術センターにはゲルニカがあり、あわせて内戦時の泣く女を描いたシリーズも展示されているが、ピカソ美術館にひとまとめにしたいと思わずにはいられなかった。混雑を分散するという意味では良いのかもしれない。いずれにしても私はこのゲルニカが結局のところあまり好きにはなれなかった。フランコが独裁時代にバスクの反フランコ勢力を叩くために無差別爆撃を実施。その惨状を描いたのがゲルニカ。「最後の晩餐」を見た時ぐらいに期待が高まっていたし、それが世界的な評価だとも思うが、なぜか感情移入できないのだ。キャンバスのスケールは大きく、他の人には作れない構図なのは分かるが、一つ一つは子供の落書きのようで、戦争の怖さを感じない絵なのだ。描かれているのは驚いた顔に見える。バスクに落とされた原爆は一瞬だから恐怖より驚きが勝るのだろうか。とはいえ、新しいことをどんどん試して、時代を切り開いたピカソはやはり天才なのだと思うし、デフォルメすることで伝わるメッセージも確かにあった。ラスメニーナスの王女の台座のようなスカートや顔が福笑いのような眼鏡の男性が確かにそれを物語っていた。
ソフィア王妃芸術センターにはダリやミロもあるが、これもあまり好きにはなれなかった。ダリのマスターベーターの絵は性的欲望と恐怖を表しているようだが、オフェンシブにしか感じなかったし、透明人間は何を表したいのか、分からなかった。色はデジタルのような鮮やかさではある。ミロは究極の単純化らしいが、これまたよく分からなかった。ここではマルハ・マリョの企画展が行われていた。身分や職業に関係なくフェスティバルを楽しむ人々が描かれているラ・ベルベナをはじめとするポップな絵が展示されている。白人とは身体的特徴が異なる黒人を並列に描いていた。その当時は画期的だったのだろう。そしてまた自国ファーストの分断が進む中で、いま一度人類が獲得してきたものの価値を再認識させる狙いがあるのだろう。
プラド美術館は広いと聞いていたけれど、一日かけてもまわれないNYのメトロポリタン美術館と比べたら、ちょうど良い大きさだった。4時間ぐらいかけてゆっくり見ることができる大きさだ。また写真NGのため、写真待ちの行列にならないのが良い。スペインを代表する画家である、ベラスケス、ゴヤ、セビーリャのムリーリョの宗教画、クレタ島出身だがスペイントレドで活動したエルグレコに加え、イタリアのラファエロ、ティツィアーノやカラヴァッチョ、ティエポロ、フランドルのレンブラント、ブリューゲル、ルーベンス、ヴァンダイクといった巨匠の作品が多く展示されており、かなり見ごたえがある。教科書的にはロマン主義に分類されるゴヤだが、ロマン主義を突き抜けた存在らしく、作品はおどろおどろしい。最たるものが我が子を食らうサトゥルノだろうか。魔女のサバト(反魔女信仰に基づく思想)も同様だ。カルロス四世一家は家族の力関係が明確に分かる構図でドレスは繊細に描かれている。ゴヤの着衣のマハと裸のマハの表情の違いを鑑賞しながら、マネのオランピアにつながる系譜を考える。また横たわる裸婦像の古典的な構図であるローマ彫刻「眠るアリアドネ」がこのプラド美術館にもあった(最も有名なものはバチカンにある)。ゴヤの作品で1808年5月3日のマドリード市民の処刑は最も印象に残っている作品かもしれない。ナポレオン侵攻下のエジプト親衛隊によるマドリード市民の処刑らしい。大きいキャンパスの暗い色彩の中で、まさに処刑されようとしている白いシャツの男性がキリストの磔刑のように手を広げている。伝えたいメッセージを効果的に伝えている。
エルグレコの羊飼いの礼拝はしっくりこないが、マニエリスムはその効果を狙っているのだろう。受胎告知は小さすぎて見つけるのが大変だったが、一晩報酬が高かったらしい。聖書に登場するロトとその娘たちを描いた作品もある。
ベラスケスはもはやピカソの印象が強くなったラスメニーナス以外では、ウルカヌスの鍛冶場(画家が職人より上位の知の領域として描かれている)が印象に残っている。感じの悪さを感じつつも、当時画家よりも鍛冶屋(火・金属・力・秩序を操る)の方が高い序列だったと聞いて納得する。
フランドル派の絵画コレクションも多いが、ハプスブルク傘下のスペイン領であったことから納得する。フランドル派の絵は厚く、重く、暗いことが多い。レンブラントの絵はカラバッジョの色彩に影響を受けているらしい。だがおどろおどろしさはあまり感じなく、穏やかに鑑賞できる。ブリューゲル父の方が有名だが、ブリューゲル子の五感シリーズ(五感を描く連作)は印象に残っている。目に見えない五感を表すのに絵画や、楽器や、花や、食べ物や恋人等をモチーフにする。これだけではないが、絵画のモチーフの理解が少しだけ進んだ気がする。
スペインには中世から近代にかけて輩出した著名な画家のコレクションだけでなく、現代のコレクションもある。バスク地方のビルバオはバスク最大のアートシティと呼ばれ、グッゲンハイム美術館がある。NYのフランクロイドライトの建築で有名なグッゲンハイム美術館だが、ヴェネチア、アブダビに加え、ビルバオにもある。ビルバオでは花をまとった巨大な犬が出迎えてくれる。現代美術は難しすぎるため敬遠しがちだが、ここのオーディオガイドは良くできており比較的楽しめた。落書きのようなバスキアの作品もある。草間彌生のインフィニティミラールームもあったが、部屋が小さすぎるのか何だかよく分からなかった。マリア・エレナ・ヴィエイラ・ダ・シルヴァの企画展もやっており、夜のパリを描いたものがあった。極限まで抽象化すると、原形を全くとどめない感覚や印象になるのだと思った。都市に迷う人の感覚を描いているらしいが、私には美しいパリに見えた。この美術館でオーディオガイドを聴きながらある意味驚いたのが、必ずしも意味やストーリーを持たず実験的な作品も多いのだということだった。この色を使ってみる。この形を描いてみる。この文字を書いてみる。意味やストーリーの無いものをどのように解釈すべきなのかは、いまだによく分からない。
スウェーデン・ストックホルム
ストックホルムの中央駅を降りた時、私はこの街が好きだと思った。シェラトンストックホルムまでの道はバリアフリーで小雨の降る中でもスーツケースの移動がさほど大変ではない。街はコンパクトにまとまっていて、パステルカラーの建物が並ぶ街並みは可愛らしくほっこりする。川の反対側には旧市街、川には国会議事堂のある島がある。街中にある川は海洋国家であったことを思い出させる。綺麗で静かでマチュアな街だ。
旧市街はさすがに石畳だが、歴史的な空間と快適な日常生活を分ける効率的な考え方が好きだ。そしてどこの国にも良い人と嫌な人がいるものだが、なぜか出会う人みんな感じがいい。感じは良いが、助けが必要でない限り放っておいてくれる。嫌な視線を感じることは少なくとも滞在中は無かった。
ストックホルムは人口も面積も東京の1/10以下で、見どころは中心部に集まっていることから徒歩で見てまわることができる。観光スポットという意味では、王宮、大聖堂、ドイツ教会、リッダーホルム教会、ヴァサミュージアム等だが、一つ一つはそれほどインパクトのあるものではない。333年間ストックホルム港に沈んでいたヴァサ号がそのまま残っているのは見どころではある。最初の航海で沈んだためか、17世紀の船としては保存状態が良く、細かい装飾まで確認することができる。王宮には華やかなバンケットルームや宝飾品、絵画、タペストリー、彫刻等があるが、西欧の王宮の規模を踏まえると全てを展示していないにしても絶対的に数が少ない。今も実際に使われる王宮であり、美術館として使用している西欧の王宮と比べてはいけないだろうが。大聖堂は祭壇が黒を基調としているからか、物々しい雰囲気が漂う。
国立美術館にも行き、スウェーデン王室が収集した美術品を鑑賞した。スウェーデンの画家の作品が多くあり、カール・グスタフ・ヘルクヴィストの描いたデンマークによるヴィスビュー(スウェーデン)制圧後を描いた作品が目に留まった。真ん中に描かれているのは家族かと思ったが、男性は征服する側のデンマーク王、女性と子どもは征服される側らしい。市民を描いた反戦的歴史画だ。素人には説明が無いと難しいが、絵には目を惹く美しさがある。ハンナ・ヒルシュ=パウリというユダヤ系スウェーデン人の女性画家による企画展もあり、黒い服と帽子の女性の絵画と写真が並べて展示してあったが、本当に写真のような絵で驚いた。結婚しているが、常に自由でいることを求め、男性には不人気であったポートレイトを描いたり、自由に生きた女性。当時の女性としては先進的だったのだろう。またユダヤ人への風当たりが強くなることを感じながら亡くなったようだ。nationalmuseum.seにHanna Hirsch Pauli "The Art of Being Free"という10枚程度の漫画で彼女の説明をしている資料はよくできていて読み込んでしまった。スウェーデン画家以外にもレンブラント、ルーベンス、ルノワール、ゴーギャン、シズレーといった有名画家の作品の展示もあるし、H&Mを擁するデザイン国としてファッションの展示もあった。
シェラトンストックホルムは数多くの部屋に宿泊してきた私が一番好きかもしれないと思ったホテルだ。部屋に入ると大きな窓からは国会議事堂と旧市街が臨める。ベッド、ソファ、デスク、ライト、自分の部屋をこのようにしたいと思うぐらい、必要なものが過不足なく揃い、全てのセンスが良い。環境意識の高い国らしくペットボトルの水は置かれていない。
とても気に入ったストックホルムだが、来訪するかと言うと迷ってしまうのは、観光スポットはだいたい見てまわったし、何よりも食があまり美味しくないのだ。シェラトンの朝食ビュッフェですら、品ぞろえは良いが、それほど美味しくはない。そして物価が高い。ブラックコーヒーが50クローネ(750円ぐらい)し、25%のTaxを含む価格に閉口する。コーヒーは酸味が少なく私好みの味だったが、この価格には驚く。ミートボールとスモーブロー(サーモン)とエビを食べた。どれもそれほど美味しくはなかったが、値段は相応にした。唯一ミートボールに添えられたリンゴンベリーソースはなかなか美味しかった。ストックホルムではIPAビールが多く醸造されているらしい。ローカルIPAは食文化がそれほどのストックホルムでまだ楽しみたいと思えるものだった。
それでもこの国の強さに魅せられてまた来訪するかもしれない。コンパクトな街を歩きながら、凄まじい物価と福祉を支えるこの国の強さを考えた。さらにドバイで会ったスウェーデンの人曰く、法定休暇で1ヶ月の夏休みが取れるぐらい、生産性も高いらしい。スウェーデンはデンマーク主導の時代を経て独立し、一時はフィンランドやバルト三国の一部を支配するも、ロシアに敗北し領土縮小、1905年にはノルウェーが平和的に独立する。その後両世界大戦からずっと中立を維持してきたが、昨今のロシアによるウクライナ侵攻を踏まえ2024年にNATOに加盟する。移民については長らく寛容な政策を取っている。実際にUberの運転手はパキスタン人だった。ティーンネイジャーの時にスウェーデンに来たそうだ。物価は高いが安全には変えられないと言っていた。ビジネスはというと、H&M、Volvo、IKEA、Spotifyと世界に名の知れた企業が並ぶ。企業ではないが歌手のABBAもスウェーデン出身だ。税控除等のメリットも限定的だろうこの国でなぜスタートアップが育つのだろうか。一つには人口の20%を占める移民の力があるだろう。移民については大量に受け入れてきたからこそ、5年経って社会に馴染めなかった人にはお金を払って出て行ってもらう制度まで作っているそうだ。また国が小さい分輸出前提となり、英語教育がしっかりしていることも関係しているだろう。さらに思い返すとストックホルムはユニバーサルトイレ(個室)ばかりだった。その他の欧州ではそのようなことが無かったから驚いた。スペースさえ確保できればこれがジェンダー中立なのだろう。誰の権利も脅かすことがない。こうしたジェンダー中立も関係しているかもしれない。とは言え、どれも決定的な要因とは思えない。
ノルウェー・オスロとトロムソ
ストックホルムから飛行機で1時間でオスロに到着。可愛らしいストックホルムに対してオスロは攻めた印象を受ける。建築も時折黒を効果的に使用した色合いで、シックだ。
ノルウェーはデンマーク支配、スウェーデンとの同君連合を経て1905年に主権国家となった。こうした歴史も反映されているのか、独立志向が強くEUに加盟していないが、安全保障のためNATOには早くから加盟している。スウェーデンやフィンランドが最近までNATOに加盟せず、中立の立場を取っていたのと対照的だ。
オスロではムンク美術館と国立美術館に行ったが、いずれもムンクを全面に押し出す。かの有名なムンクの叫びは一体何枚あるのかと思ってしまう。また一人世界的な画家を輩出するだけで、これほどまでに経済的に利用できるのだとも思う。ただオスロはムンクの奇抜さに振り回されているようにも見えた。奇抜で個性的ではならないという呪縛にかかっているような印象を受けた。ムンクの叫びだが、これだけ多くの同じ絵を描いたのはなぜだったのだろうか。原田マハの本を読み、ムンクの叫びは叫んでいない、血のような夕焼けの叫びから耳を塞いでいるのだと知った。耳を塞ぎきれなかったのだろうか。またムンクの絵にはヌードのものがある。絵画にはヌードのものが多くあり、解放や美を表現しているものが多いのだろうが、そのうちの一つが少女のヌードであることが引っかかる。この子は絵を描かれることで傷ついていないか心配になる。そしてムンクの描く人間はとても醜い。嫉妬を緑で表現する等、直球だ。その中で病床の娘と看病する母親だけが愛に溢れ美しいが、それ以外のムンクの目に見える人間はそれほどまでに醜いのかと憐みを覚える。
オスロではスモーブロー(小エビ)とシナモンロールを食べ続けた。どれもそれほど美味しくはなかったが、値段は相応にした。カールスバーグの子会社のRingnesのビールはLight2.5%を誤って買ってしまったこともあるが、薄くてインパクトがなかった。そして多くの店でロング缶しか売っていなかった。330mlで複数の味を試すことができないのが残念だ。
トロムソ
オスロはあまり見るものが無さそうだと思い、1泊だけしてトロムソに行くことにした。オーロラが見えるところは多く存在する。アメリカにいた頃、アラスカやカナダのイエローナイフに多くの人がオーロラを見に行っていた。当時あまり行こうとは思わなかったが、1回ぐらい見ておこうと思った。地球の磁場(北極と南極)を取り巻くエリア、オーロラ帯に発生するオーロラだが、帯の真下にあるトロムソは安定的にオーロラが見える場所だそうだ。
トロムソの事前情報が無く、交通機関が無かったらどうしようかと心配していたが、ちょうど良いバスに乗って、街の中心地に行くことができた。北極圏最大の街であるトロムソはコンパクトだが、田舎ではなかった。イルミネーションが輝く街で、深夜まで賑わっていた。オーロラツアーに行けば、帰ってくるのは午前2時ぐらいにはなるが、それでもレストランやパブはやっているところがある。滞在したスカンディックイシャフスホテルは、黄色の椅子やカーテンが温かみを与える部屋で快適だったが、向かいのパブでは午前3時頃に大きな音楽が流れていた。
トロムソはフィヨルド(氷河が産地を深く削ってできた谷に、氷が溶けた後、海水が入り込んだ地形)の中にある都市であり、ホテルからも山と海水のコントラストを見ることができた。この景色からも水資源・貯水機能が十分にあり、エネルギーのほとんどを水力発電で賄えている国の強さを垣間見る。
飛行機が遅れたこともあり、オーロラツアー前にコンビニでホットスナックを買ったぐらいで、ちゃんとしたローカルの食事をしていない。朝食ビュッフェにはFish Cakeなどローカルフードがあるというので試してみたが、残念ながら外れだった。白身魚をすり身状にして成形したFish Cakeは全く好みの味ではなかったし、その他もローカルと呼べるものは限定的だった。唯一ノルウェーで食べられる甘い茶色のチーズ、ブラウンチーズは美味しかった。
デンマーク・コペンハーゲン
コペンハーゲンは一言で表すのが難しい。ローゼンボー宮殿の公園は美しく、NYのセントラルパークを彷彿させるが、圧倒的にコンパクトで静かだ。とは言え、ストックホルムやオスロよりは大きく、人も多く道路には車と自転車が溢れる。赤いレンガと緑の銅屋根、縦長の上下開き窓が良く見られる美しい街並みはあるが、あらゆるところに貼られた選挙ポスターが景観を台無しにする。ニューハウンの港はカラフルで気分を高揚させる。ストックホルムとも似ているし、カラフルなのはヴェネチアもホイアンも同じで世界共通なのではないかと思う。海を越えてようやく帰ってくる時に自分の家を見つけられるように。コペンハーゲンの見どころはそれほど多くないが、そこそこ点在しているため、徒歩だけでまわれる感じではなかった。地下鉄に乗っても時間的には大して変わらないところが悩ましく、相応にUberを使ってしまった。
かつてノルウェー・スウェーデンを統合する北欧の覇権国家であり、紆余曲折あるも、主権を維持している国だ(ナチスドイツによる軍事占領はあるが、国家は存続)。ヨーロッパで強い影響力を持っていたが、日本で学ぶ世界史にはあまり登場しない。絶対王政時代のローゼンボー宮殿は、当初夏の離宮として作られた赤い煉瓦と銅屋根の宮殿で、建物の規模はそれほど大きくないが、室内の装飾はゴテゴテしている。地下の宝物庫には王冠やジュエリーの展示がある。それらは美しいものではあるが、コレクションとしての数は少なく、物足りなさを感じる。
デンマークと言えば、ミシュラン3つ星NomaやAlchemistを擁する美食大国だ。何より食を楽しみにしていたが、一般的なレストランの満足度はスウェーデンやノルウェーと大して変わらなかった。ミートボールとスモーブロー(ライ麦パンのオープンサンドイッチ)を食べる。かの有名なカールスバーグビールはデンマーク・コペンハーゲン産だった。ピルスナービールは癖がなく万人受けする味で、世界中で販売されている。Tuborg(ツボルグ)という日本人にはあまりなじみのないビールと並んで陳列されている。どちらも世界第三位のビールメーカーであるカールスバーググループのビールで前者はクラシック・プレミアム志向、後者は軽快・若年層向けらしい。どちらも癖がなく軽いのは同じだ。Jacobsenというプレミアム/クラフト系のIPAが一番美味しかった。Session IPAというものだったが、ほどよい苦味で好みの味だった。アルコール度数が低く飲みやすいように作る「セッションビール」というものを初めて知った。
美食大国でこれでは終われないと思い、一つ星レストラン(モダンフレンチ「Marchal」)に行った。NomaやAlchemist等のレストランの予約はさすがに直前では取れない。かつ月曜日に行きたかったこともあり、かなり選択肢が少なかったが、中でもアクセスのよいMarchalを選んだ。ランチの4皿コースを選択した。前菜二品・メインの肉料理・デザートだった。
4皿コース:995DKK、ワイングラス一杯150DKK、水60DKK、Tip5%(60 DKK)+25%VAT、合計1,265DKK(25,000~30,000円ぐらい)
- Saint Jacques : Rygeost, apple and oscietra caviar
- Raviole of Langoustine : Sauce Bouillabaise
- Grilled Tenderloin : Smoked Vesterhavsost, Beetroot and Jus au vieux porto
- Apple and Vanilla : Buckwheat and sauce caramel
1皿目のホタテとキャビアにはエシャロットが良いアクセントになっており、食感が面白い。2皿目のランゴスティンのラビオリはミントが濃厚さを調和するが、それでも食べ進めると塩気が強い。3皿目のステーキは見事だった。ミディアムレアのお肉は圧倒的に柔らかく、付け合わせの野菜とバランスが取れている。野菜が単なる付け合わせではなく、一つの料理としてバランスする不可欠なピースとなっている。ソースも濃厚過ぎずバランスが取れており、チーズのソースや、ビーツの酸味がさらに違う味を楽しませてくれる。大抵のお店のお肉は美味しいが、食べ切るのがもったいない味は久しぶりだった。4皿目はデザート。リンゴのシャーベット、バニラアイスクリーム、キャラメルソースのデザート。濃厚なキャラメルとバニラの組み合わせが大好きな私にはシャーベットが余計な気がしたが、食べ進めるとこのシャーベットが口直しになることがちゃんと分かる。
ホテル内にあるレストランは美しいし、お金を払う以上最低限の扱いは受けられるが、星を取っているレストランにしてはあまりサービスの良さがなかったのが残念だ。悪気は無いのかもしれないが、急き立てられるようで、ゆっくりしていってという感じではないのだ。テーブルが足りないわけでもないのに。ランチだから仕方ないかと精一杯納得させる。
カールスバーグの名前を冠したニュー・カールスベア(カールスバーグ)・グリプトテク美術館にも行った。デンマーク絵画に加え、ドガの作品を研究した展示やゴーギャンの企画展に加え、ドラクロワ、マネ、ゴッホ、モネ、セザンヌ、ピカソといった作品も展示している。
アンデルセンの国の人魚姫の像には会えなかったが、レゴとフライングタイガーとロイヤルコペンハーゲンとジョージジェンセンとテンピュールを見たので、やるべきことはやったと思う。
ニュー・カールスベア(カールスバーグ)・グリプトテク美術館については別で記録する。
ドガ、ゴヤ、セザンヌ、Bathing Women
フィンランド・ヘルシンキ+エストニア・タリン
日本人女性がなぜか大好きな場所フィンランドだが、ムーミンやマリメッコぐらいしか知識がなかった。フィンエアーのブルーベリージュースを飲み干し到着した。日本から一番近い欧州らしい。
空港はコンクリート打ちっぱなしでスタイリッシュな印象だが、鉄道で約30分、街に出ればなんだかポップだ。滞在したAutograph CollectionのHotel U14はこれまで滞在したホテルの中でトップクラスに快適なホテルだった。バスタブ・バスローブ・スリッパを含め、必要なものが全て揃っていることに加え、ホテルスタッフが本当に感じが良かった。ホテルから川に沿って観覧車を眺めながらマーケット広場を通り、ウスペンスキ寺院に向かう。フィンランド正教会の寺院であるウスペンスキ寺院は、ロシア正教会建築でビザンツ様式だ。赤レンガと青緑の銅板屋根。玉ねぎドームが見られる。ロシア支配下にあったことを物語っている。金を基調とした祭壇は見ごたえがある。翻って街のシンボルヘルシンキ大聖堂は、白亜の外壁と緑色のドームのネオクラシック様式の大聖堂で外観は美しいが、福音ルーテル派(ルターの宗教改革に基づくプロテスタント最大宗派)の教会だけあって、中は至ってシンプルだ。ステンドグラスも絵画も何もない。観光客としてはカトリックの教会の方が見ていて楽しいことは言ってはいけない事実だろう。教会というのは高い位置にある必要があるのか、いずれも坂と階段を上って到着する。ヘルシンキはコンパクトにまとまっているが、そこそこ坂が多いのが難点だ。テンペリアウキオ教会も福音ルーテル派のため内部は同様だが、天然の岩山をくりぬいて作られた教会の外観は一見教会とは思えないものだ。カンッピ礼拝堂は街の中心部に突如現れた木でできたバスタブのような外観だ。中には何もない。人々が心を静め、穏やかになるために訪れる場所だ。木目が静寂と安心をもたらし、不思議と心が穏やかになる。ここにはまた来たいかもしれないと思った。ヘルシンキの街は十分に静かに思えるが、もっと静かに過ごす場所がこの街の人には必要なのだろうか。
スオメンリンナ島はヘルシンキからフェリーで15分程度で到着する世界遺産の島で、850人程度が暮らしている。かつての要塞だが、今は手入れされた国立公園のような島だ。要塞だけあって、Military Museumは展示が上手くまとまっていた。フィンランドは12世紀から19世紀までスウェーデンの一部だったが、ナポレオン戦争後にロシアに割譲。ロシア革命の混乱を機に独立、その後の内戦(白軍(ドイツ支援)vs 赤軍(ソ連支援)では白軍が勝利。その後ロシア侵攻(冬戦争、継続戦争)もあるが独立を維持、以後中立の立場を取ってきたが、ロシアのウクライナ侵攻を踏まえ、2023年にNATOに加盟した。ロシア侵攻(冬戦争、継続戦争)に関する展示が大半だが、現在の兵力を比較した展示もあり、興味深かった。ロシアに隣接する国の緊迫感を感じるものだった。同じくロシアに隣接する日本も進むべき道を考える必要があるのだろう。北欧の女性は男女平等意識が強い印象がかねてよりあった。いまやフィンランドを除き男女ともに徴兵制のある(デンマークは法制化済、今後実施)北欧では当然のことのように思えた。徴兵制がある以上は男女ともに適用しない限り、男女平等にはなりえないだろう。徴兵制がなくレディーファーストでもない日本が男女平等からほど遠い説明にはならないが。
デザイン博物館にも行き、ムーミンの制作背景や、社会とデザインの歴史を辿ったが、それほど印象には残っていない。アラビア、イッタラ、マリメッコといった北欧デザインがフィンランドの財産であることは認識したものの、欲しいと思えるものは残念ながら無かった。
フィンランドに来た以上、サウナに行かなければとロウリュ・ヘルシンキに行った。数分前までモンクレールのダウンを着て凍えながら歩いていた外を水着姿で歩くという笑えるような経験をした。海にダイブする人も多いが、さすがにできなかった。欧州で会うアジア人は中国人が多いが、サウナだけは日本人が本当に多かった。
フィンランドのビールは、AURA(アウラ)とKarhu(カルフ)を試した。どちらもシンプルなピルスナーだった。代表的なのは熊のラベルのKarhuらしいが、お店ではAURAの方が多く目にした。尚、フィンランドではロンケロと呼ばれるロングドリンク(ジンとグレープフルーツソーダのミックスしたもの)が好まれるらしい。柑橘は好きだし飲みやすく美味しかったが、まあ普通だった。
ホテルの朝食ビュッフェは美味しかった。カレリアンピーラッカ(カレリアパイ)という中にお米の入ったパンでEgg butterと一緒に食べるパンが初めて食べる味で、本当に美味しかった。サーモンスープもニシンの揚げ物もトナカイ料理(レバーのような味がした)もそれほど美味しくはなかったかな。シナモンロールは美味しいものもあれば、パサパサしていたものもあった。ホットワイン(Glogi)は冷えた体に染みて美味しかった。
タリン
ヘルシンキからフェリーで2時間程度で行けるタリン。行こうと計画していた日は大雨で最後まで迷ったが、これを逃したら、エストニアに行くことはないかもしれないと思い強行した。エストニアはデジタル化が進んでいる国ということで見てみたかったのだ。ただ、飛行機のようにチェックインが必要だとは知らず、往復で予約していたフェリーを逃したことから、行きはTallink(エストニア企業)、帰りはEckero Line(フィンランド企業)で行くことになった。ピアノの生演奏のある客船には免税店もあるし、レストランもある。
石畳にくすんだパステル色の切妻家屋(屋根の両端が三角形になる形の家屋)、赤い瓦屋根の建物が並ぶ旧市街はなかなか趣があった。セントニコラス教会はルーテル派の教会でこれまたシンプルだが、中には死は誰にでも平等であることを表す「Dance of Death」と呼ばれる絵画があった。教会の尖塔にエレベーターで上ることができ、そこから見た風景は美しかった。ただただ赤い屋根が続くプラハと比べると、色とりどりのパステルカラーが良いアクセントになりポップでかわいらしい印象を与える。ロシア正教会のグレーの玉ねぎドームが異彩を放っていることを含め、かわいらしい。旧市街の外側には高層ビルが聳え立っている。
エストニアはフィンランド同様、フィン・ウゴル系民族だが、ドイツのハンザ同盟都市として繁栄、その後スウェーデン、ロシアの支配を受ける。ロシア革命を機に独立するも再びソ連に併合される。1991年ソ連崩壊と同時に再び独立。IT国家・電子政府構築により、Skype、Wise、Boltと世界有数のスタートアップ企業を擁する。一方で、この国は貧富の差が激しいのか、旧市街の教会の前には大雨の中4人ぐらいの物乞いが集まっており、いたたまれなかった。
エストニアの食事はというとあまりに悲劇だった。セントニコラス教会の近くでボルシチ(Borscht)をブルスケット(Bruschetta)となぜか勘違いしてオーダーしたことが原因ではあるが、このボルシチが旨味が全くしなかった。通常のボルシチではなく、リトアニア風の冷製スープだったこと、ビーツのピンク色のスープで見た目に圧倒されていたことも影響しているだろう。ヘルシンキに帰る船の中のビュッフェはニシンの酢漬けに代表されるような北欧料理ばっかりで、40ユーロ出す価値はない内容だった。Seaweed Cavier(ヴィーガンキャビア)も初めて食べたが美味しくはなかった。植物性の食材で動物性の食材を模倣したもので残念ながら美味しいものに出会ったことがない。植物性のものは植物性のものとして美味しくいただけばいい。動物性になる必要はないのだ。きっと美味しいものもあったのだろうが、残念ながら遭遇しなかった。
チェコ・プラハ
1000年の都、その意味すら知らずに向かったプラハ。事前知識が無さすぎるからか、少しドキドキしながら空港に降り立ち、人の流れについていきながらバスと電車を乗り継いでホテルに向かった。駅のエスカレーターのスピードが異常に早く感じた。何か怖い思いをしたわけではないが、脇道に入ると人通りも少なく少しだけ怖いと感じた。ホテルは中級ホテルに泊まったが、多少古いものの欧州では珍しくバスタブまでついて快適な部屋だった。
街全体では少し廃れた印象。人はにこやかじゃないけど優しくはあった。英語は困らない程度には通じるが、それほど上手くないという感じだった。30体の聖像彫刻を眺めながら、カレル橋をのんびり渡り、プラハ城に向かう。城という名がついているが、街のような広さだ。到着するまでにかなり坂道を上るが、到着してからもなかなかの移動が求められる。3日間有効のチケットを買ったため、結局全て見ることができたが、土日にあたっていたこともあり聖ヴィート大聖堂は今日はクローズ、聖イジー教会は14時までクローズと1日では済まず、翌日も向かうことになった。
博物館・美術館もあり一通り見たが、質問しても答えられる係員はいないのが残念だ。英語が話せる人も限られる。こんなに観光資源があるにもかかわらず何とももったいない。美術館にはルーベンスの受胎告知もあった。王冠等の展示もあるが、1000年の都としてはインパクトに欠ける量だ。黄金の小道には兜や拷問器具の展示や当時の一般的な生活を再現した部屋があるものの、個人的にはあまり興味を惹かれなかった。聖ヴィート大聖堂は前日がクローズだった影響もあるのか混雑しすぎており、ゆっくり見学することが許されない。流れ作業のようにステンドグラスの前を通るしかない。ステンドグラスにはそれぞれ個性があり、美しい。ミュシャが作成した、イラストのようなものもあれば、モザイクのように細かいガラスを敷き詰めて物語を伝えるものもある。バラ窓、パイプオルガン、彫刻、パイプオルガン、ゴシック調の教会の中には、教会に期待するもので溢れていたからこそ、落ち着いてみたかったという気持ちが強くなった。
旧市街の旧市庁舎前には、毎正時に12使徒が登場する仕掛け時計を見に人が集まっている。バニティ(虚栄:鏡を見て自分を愛でる)とグリード(貪欲:金袋を抱える)、死神とターク(野蛮・残虐)の像が時計の周りに配置されている。某ガイドブックが別の像をバニティとグリードとして写真を掲載していたことから、2度見ならず10度見ぐらい確認したが、やはりガイドブックが誤っていたようだ。近くにあるゴシック調のティーン教会はとにかく「金」で装飾されている。主祭壇には金色のマリア像が安置されている。
神聖ローマ帝国の構成国として栄えたボヘミア王国。ハプスブルグ支配を経て、第一次世界大戦後にチェコスロバキアとして独立するも、英仏の宥和政策の一環でドイツに割譲、ナチス占領を経て、戦後民主国家になるも、クーデターにより共産主義化する。プラハの春は武力行使により制圧されるも、1989年ビロード革命による共産党の退陣、無血の民主化を経て現在EU・Nato加盟国となる。余談だが、文化・ライフスタイルを意味するボヘミアン(社会の主流的価値から距離を取り、芸術・思想・自由・自己表現を優先する生き方)を思い出すが、ボヘミア王国とは何ら関係がない。ボヘミア王国の首都プラハは神聖ローマ帝国、ハプスブルク帝国、チェコスロバキア、現代チェコと支配体制が変わっても首都の座を維持していたことから千年の都と呼ばれる。大規模な無差別破壊を逃れたこともあり、ロマネスク(聖イジー教会)、ゴシック(聖ヴィート大聖堂)、ルネサンス(王妃アンナの夏宮)、バロック(聖ミクラーシュ教会)、アールヌーヴォー(市民会館)、キュビズム(黒い聖母の家)が保存されると言われている。高い位置にあるプラハ城から見える景色は赤い屋根が広がり、天気の良い日に見渡す景色はいつまでも見ていたいほど美しい。中世の街並みと呼ばれる街は、たいてい素焼きの粘土瓦(テラコッタ)の街並みが残っている。
プラハ出身の画家としてミュシャがいる。現代の漫画のような女性を多く描いている。大半はリトグラフで、多くは商業利用のポスターだ。最も有名なのがヒヤシンス姫(パリ演劇の役名)だろう。強気な姿勢と視線に目が離せなくなる。現代にもこの作風の漫画家やイラストレーターがいるし、現代に与えた影響は相応にあるのだろう。また最期はドイツがチェコスロヴァキアに侵攻した際にゲシュタポ(Gestapoドイツの秘密警察)に捕らえられたミュシャは、チェコやスラブ民族を多く描き、その想いを表現している。
チェコでは美味しいものをたくさん食べられた。ホテルの朝食ビュッフェも野菜がいっぱい取れるし、美味しかった。シュニッツェル(カツレツ)はシンプルだったが、豚のすね肉(Pork Shank)、ネオルネサンス様式Cafe Savoyで食べた、目の前で混ぜ合わせてくれる牛肉のタルタル(見せなくていいから、きれいに盛り付けて持ってきてほしいと思ってしまったが)やピスタチオアフォガードは美味だった。チェコに来てようやくどこに行ってもそこそこ美味しい料理に出会えるようになった。物価も北欧対比では安く感じる。日本ぐらいか。
チェコと言えばビール。1499年創業のウ・フレコー(U Fleku)に行った。チェコで最も古いビヴニッツェ(ビアホール)だ。長いテーブルの端に座り、自家製黒ビールを飲む。Black LagarかLight Lagarの二択でBlackを選んだが、チョコレートのようにまろやかな味だった。しばらくするとBecherovka(ベヘロフカ、ハーブ系リキュール)とMedovina(メドヴィナ、はちみつ酒、少し薬のシロップ見たいだった)のショットグラスを持ったウェイターがテーブルをまわる。一つずつ飲むとちょうど気持ちの良い程度のほろ酔いとなった。この酒の名前は何かと訊いたものの、うまく聞き取れない私のために紙に書いてくれた。食事とビールでは担当が違ったり、アコーディオンの生演奏をしていたり、見慣れない景色を見ることができた。
世界初の黄金色のラガー(下面発酵)はピルスナーウルケル(Pilsner Urquell)、チェコのビールだ。それまではエール(上面発酵)中心だったが、透明で香り高いラガーはヨーロッパ中に衝撃を与え、世界のスタンダードを変えたそうだ。ころんとしたジョッキで提供されるピルスナーウルケルはいまや普通のピルスナーではあるが、今日のビールの歴史を作ったと思うとありがたい。もう一つのローカルビールとしてBudweiser Budwarというビールがある。チェコまで来てBudweiser(ベルギーAB InBevが保有する米国のビール、AB InBevはバドワイザー、ステラ、コロナ等を持つブランド)なんて飲みたくないと思ったが、まったく別物らしい。きっとこのネーミングで損をしているのだろう。両者は名称をめぐって訴訟を続けているらしい。味わいとしてはクラシックなピルスナーであるピルスナーウルケルよりも丸くチェコラガーという分類らしい。