おひとりさま

ひとりで食事をすることは特段珍しいことではない世の中になって久しい。ひとりで食事をしていて奇異の目で見られることはほとんどない。内心思っていても声に出すような人は滅多にいない。その滅多にいない人に出会ってしまった。

美味しいと有名なお店に初めて訪れた。遅いランチだったため、店内はがらんとしている。年配のカップルと家族連れが1組ずついるだけだった。家族連れの女は甲高い声で高笑いをしているとは思ったが、特に気にせず食事を待っていた。その時その甲高い声が言うのだ。ひとりでご飯なんてと。美味しいねって話せない食事は侘しいといった類のことを。それは悪意を持って私に向けられたものなのか、私がどう思うかなんて到底考えられないぐらい視野が狭い人間が自分の意見を述べただけなのかは分からない。

どちらにしても浅ましい女で、気にするに値しないことだけは確かだ。それでも食事を台無しにするぐらいの破壊力はあるのだ。さっさと食事を済ませて店を出て思う。あのような浅ましい人間はどこかで必ず自滅する。だから放っておけばいいのだと。せっかくの食事を台無しにされて悔しい気持ちはあるが、一つ徳を積んだと思って帰路に着く。

金沢での長い散歩

金沢に初めて行ってきた。雲ひとつない晴天。そんな天気の中訪れた金沢城公園は圧巻だった。なんといってもあの広さだ。桜の木の下でゆっくりピクニックでもしたくなる。建物は、江戸時代から残る部分はかなり限定的だが、雰囲気は分かる。階段が急で、とにかく寒い。カーペットの敷かれていない床に足から体温を奪われる。豪華ではないが、人の手だけで階段のある建物が作られたことに驚く。

兼六園は桜の時期になると無料開放されるらしい。運良く無料開放日に訪れることができた。その分人は多かったが。花嫁衣装で訪れているカップルも何組かいた。結婚式なのか、ただの写真撮影なのかは分からない。金沢城同様に圧巻なのはその広さだ。ぼーっと物思いに耽るには最高の場所だ。

金沢には昔ながらの街並みが多く、観光客だろう若い女の子は着物を着てはしゃいでいる。レースのお花みたいに締められた帯が可愛く、よく似合っていた。自己満足だけのために、その労を厭わない女の子たちが眩しかった。街では男の子のパーマとベレー帽が流行っているようだった。

とにかく美味しいお寿司を食べたかったが、美味しいんだけど、感動という感じではないのが少し残念だった。期待値が高いと美味しく感じないのかもしれない。おでんだったり、中田屋のきんつばやお茶屋さんの和菓子だったり、日本酒だったり、名産品を味わえたからまあいいか。日本酒の黒岩や手取川が美味しいことはわかった。

加賀温泉とは少し相性が悪かった。落ち着かないんだ。温泉は露天があったり、ジャグジーがあったり悪くはないのだけど、古いシャワーやお料理がイマイチだったりで、もっと長くいたいとかまた来たいとは思えなかった。建物の外観は風情があって素晴らしいのだけど。金沢市のホテルにはトゴール鉱石を使った人工温泉があった。アクセスの良い場所には人が集まるから、設備も新しくできる。街には美味しい食べ物が集まる。風情で行ったら地方の温泉宿だけど、一般人が少し贅沢したくて泊まるレベルの地方の温泉宿(超高級旅館ではない)の経営は厳しいと思わざるを得ない。

万国共通で地方の建物は低い。土地が余っているから高い建物を建てる必要がないんだ。何もない街をバスで通過しながら、世界各国の田舎街を思い出す。コロナで久しく移動が制限される中で、久しぶりの旅行。もはや大して感動することもなくなった私がそれでも旅行に行くのは、長い散歩をするため。そして大したことなかったと堂々と言うため。

ブランドもの

フリーペーパーか何かに、彼に見合うように、清水の舞台から飛び降りる気持ちでプラダのバッグを買ったという女性が出ていた。彼の知人友人に会う時に、彼に見合う女性である必要があるということだった。

彼女が自分のお金で何を買おうと彼女の自由だ。だけどあまりに短絡過ぎて閉口してしまった。プラダのバッグを持っていることで彼に見合う女性になれると思っている思考回路が理解できない。

ブランド物には魅力がある。背伸びをして手に入れたら、そのうち似合う人間になっていたという話はよくある。ただそれはプラダが似合う女性になりたいという気持ちがあって努力するからだ。プラダのバッグを買っただけで、自分の価値が上がると思っているのなら、その薄っぺらさを周りは見抜いているだろう。

形から入るのは悪くない。だけどせめてそれは自分のためであってほしい。自分が欲しいと思うものを自分のために買ってほしい。

 

伊集院静と男女について考える

数年前に伊集院静のエッセイを読んだ。あまりに不愉快ですぐに古本屋に持っていったため、タイトルも忘れてしまった。女性は食べ放題なんてはしたないことすべきではないみたいなことが書いてあったと思う。

女性とはこうあるべきなんてナンセンスだ。あの世代の人はしょうがないよねと大目に見るべきなのかもしれない。だけどその本が売れているという事実が許せなかった。欧米でこんな主張をした本が大々的にプロモーションされるだろうか。どんな女性を素敵だと思うか、3歩後ろを歩いてくれる女性が好きだとしてもそれは個人の自由だ。だけど知識人とされる人がこんなことを堂々と主張する。あまりに時代遅れだと思うのは私だけなのだろうか。

時代遅れのことは他にもたくさんある。子供の頃に、大人になる頃には夫婦別姓は認められているだろうと思った。いまだに進まない事実を前に、いつになったら変わるのだろうかとため息をつくことしかできない。子供を産むという大仕事を任せれる女性の大半が膨大な名義変更までさせられる。家長とか嫁ぐとかそういう概念から切り離せない名字を変えるということ。その重さを考えたこともない男が多過ぎることに、さらに深いため息をつく。

アプリのお作法③

サヤカは新しい男とマッチングした。年収はサヤカに劣るが、安定した仕事をしていて、趣味もあるし、やりとりのテンポも合う。サヤカはこれでアプリ辞められるかもとすら思っていた。風向きが変わったのは1週間後に会いましょうと約束をした後だった。言葉足らずだったり、返答に困るようなメッセージが多くなった。それでも会うだけは会おうと思っていた最中で、蔓延防止措置が発動される。措置発動は数日前から分かっていた中で、じゃあ明日と言った数時間後に、措置発動のため延期してくれとのことだ。きっともう会うことはないだろうと思いながら、ではまた今度と連絡した後も、度々元気ですか?と連絡が来るが、お互いを知ることに資するような内容の質問もなく、どんどん冷めていくだけだ。サヤカは基本質問のないメッセージに返信は不要だと思っている。そうですね、としか言いようのないメッセージは不快ですらある。措置が解除されそうになった日、解除されますねとだけ来たメッセージはまさにそれだ。会おうという反応を期待していたのだろうと思いながら、そうですね、と返した。これで本当に切れるだろう。

元カレやタイミングが合えば恋愛関係になったかもしれない友人や知り合いを見て思う。この人たちとアプリで出会っていたら間違いなく進んでいなかっただろうと。アプリは難しい。年収・身長・顔だけでスクリーニングして、行間から性格を探る。長らくメッセージのやりとりをして、出会った時に一瞬で無しに振り分けられることは男女ともにある。何とも効率が悪い。

改めて一緒に過ごしたいと思える人と出会えた人は宝探しに成功した人なんだと思う。そしてその宝を守るためなら、周りをどんなに傷づけたって構わないんだろう。だから外で遊んでガス抜きをしたり、自分がどれだけ幸せかをアピールしたりする。

宝探しに成功していない人は、必死になってその確率を少しでも上げるか、自然体に任せてその確率をほぼゼロにするかの二択を迫られる。成功する確率が高かった頃に自分は何をしていたんだろうと思い返しながら。

サヤカはアプリから退会した。

アプリのお作法②

サヤカはマッチングアプリで知り合った男とお茶をした。マッチングして、メッセージでお互いに見定めて、やっと会う。サヤカは長々とメッセージを続けるのがあまり好きではないので、有り無しを見極めるために、早く会ってしまいたい。長い道のりを乗り越えた男ではあるものの、正直のところテンションが上がっていたわけではなかった。ただ結局のところ会ってみないと分からないし、会ってみた。悪くはない。年収が低いことは知っていた。ただ就活がうまくいかなかったことを今でもコンプレックスを持っていることは知らなかった。醒めてしまったサヤカは適当なタイミングで切り上げ、帰路についた。

自分自身がある程度稼いでいるサヤカは、相手の年収自体は気にしていない。けれどもあまりに年収の差があると生活水準に差が出てくる。サヤカは仕事のストレスを美味しいレストランでの食事や買い物で発散しているところがある。年収の低い男性と付き合うと、浪費として咎められることがあるのが嫌なのだ。

サヤカは思う。生活を全く変えなくていい男がどこかに残っていないのだろうかと。アプリ必勝法を検索して、趣味が海外旅行とは書いていけないのだと知る。旅行が趣味の女は地雷らしい。東京の一等地に住んで、欲しいブランド物を買って、海外旅行に行く。何が悪いというのだろうか。サヤカはただため息をついて、考えるのをやめた。

(つづく)

アプリのお作法①

サヤカは初めてマッチングアプリを使い、カルチャーショックを受けていた。マッチングして、メッセージを重ね、ようやくランチに行き、それなりに楽しく過ごした。もう一度会うかは迷いどころだが、お礼ぐらいはしようとメッセージを送ったら、既読にすらならない。

仲の良い友人に相談したところ、「あり」で前に進む時しか連絡はしないのがマッチングアプリ界での礼儀らしい。期待をもたせない、ネガティブなことは言わないのが礼儀だというのは分からなくもないが、仮にも数時間を一緒に過ごして、こんなにもドライなのかと驚いていた。

彼女は気分を切り替えようと別の人とマッチングした。この人はプロフィールがスカスカで不安もあったが、まあいいやとメッセージを続けていた。この人はいかんせん情報の開示に消極的だ。ファーストネームすら開示しない。シングルか?という質問にすら、真正面から答えない。「サヤカさんとってもステキな方なので、もっとメッセージをやりとりしたいです」みたいなことは言ってくる。ところがだ、そのとってもステキな人がウダウダした意味のないやりとりに飽きて、今度お茶でもしますか?と送ると、また「サヤカさんとってもステキな方なので、お会いしたいです」と来るが、いつにしますか?といった内容は一切送ってこないで、違う質問をしてくる。彼女の中で「ない」フラグが立って、質問にだけ答えた放置したところ、「サヤカさんの写真を見たい」とのことだ。サヤカはアプリ上でちゃんと写真を載せていた。限られた写真ではあるが、写真を一切載せていないかのようなことを言われるつもりはないのだ。彼は何枚か追加の写真を見て、顔を確認してから、会うかを決めたいと言うことだろうか。とってもステキな人ではなかったのか。彼女は詰めたい気持ちをグッと抑え、スルーした。その後連絡もあったが、彼女は一度も返していない。

不毛だと思いながらも、彼女はアプリを続ける。いいねを送ってくれる人とマッチングする。ここでまた不思議なことが起きる。いいねを送ってきたくせに、特にメッセージを送ってこない人が多いのだ。誤って送ってしまった人もいるだろう。いいねを稼ぐためにとにかくいいねを送る人たちもいるらしい。結局のところ理由は考えても分からない。いずれにしても不毛だ。(つづく)