伊集院静と男女について考える

数年前に伊集院静のエッセイを読んだ。あまりに不愉快ですぐに古本屋に持っていったため、タイトルも忘れてしまった。女性は食べ放題なんてはしたないことすべきではないみたいなことが書いてあったと思う。

女性とはこうあるべきなんてナンセンスだ。あの世代の人はしょうがないよねと大目に見るべきなのかもしれない。だけどその本が売れているという事実が許せなかった。欧米でこんな主張をした本が大々的にプロモーションされるだろうか。どんな女性を素敵だと思うか、3歩後ろを歩いてくれる女性が好きだとしてもそれは個人の自由だ。だけど知識人とされる人がこんなことを堂々と主張する。あまりに時代遅れだと思うのは私だけなのだろうか。

時代遅れのことは他にもたくさんある。子供の頃に、大人になる頃には夫婦別姓は認められているだろうと思った。いまだに進まない事実を前に、いつになったら変わるのだろうかとため息をつくことしかできない。子供を産むという大仕事を任せれる女性の大半が膨大な名義変更までさせられる。家長とか嫁ぐとかそういう概念から切り離せない名字を変えるということ。その重さを考えたこともない男が多過ぎることに、さらに深いため息をつく。